オースターになって3代目、FFになって2代目となったT12型オースター。
先代の丸いフォルムで国内販売を失敗した反動か、T12になると、物の見事なスクエアー・フォルムで登場した。
シャーシはU11ブルーバードと共通、今で言うと、U14とP11の様な関係であったが、この頃はブルの方が良く売れていたので「ブルと共通の…」という表現がもっぱらであった。
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シンプルなカタログの表紙
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T12は、T11オースターの失敗から「絶対!今度は失敗が許されない!」という掛け声から、かなり気合に入ったモデルであった。
まずはエクステリアであるが、これでもか!というくらいの、直線と平面でデザインが構成され、さらに輪をかけて、当時の流行を全て積め込んだ「いでたち」で登場した。
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キャッチコピーは「ロマンシング・オースター」
ホワイトボディがカッコイイ!
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昭和62年当時、トヨタがマークII等々、ハイソと呼ばれるクルマ達に「スーパーホワイト」と呼ばれる「ホワイトカラー」をイメージカラーにすると、それが大ブレークし、世の中のクルマが、全て白になるのではないか?!と思うくらいの勢いで、「スーパーホワイト」や「スーパーホワイトもどき」カラーのクルマが日本に蔓延した。
最たる例として、スバル・レオーネクーペに至っては、マフラーの出口まで白に塗装されていたのだ。
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ボディカラーは「ホワイト」で「エアロ!」
これが昭和62年頃、大ブレーク
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白色の次ぎに到来したのが、空前のエアロブームであった。
アメリカの巨大な圧力に屈した、日本政府の恩恵?で、それまでご法度だった、空力パーツが一斉に許可!
これでもか、これでもか!というくらいの、コテコテのエアロパーツ・ブームが到来し、T12もそのラインナップの中に、「ユーロフォルマ」という、フルエアロのグレードを設けてしまった。
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筆者は「赤」が良いと思うのだが・・なんだか後ろ姿は
U11ブルみたいな…
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一方、内装も、やはり外装と呼応したような、直線と平面を多用した、良心的に解釈すれば、端整な感じのインテリアとなり、T11に比べて、かなり質感の向上が図られていた。
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ステアリングはブルと共通。カクカク、断崖絶壁デザインは当時の日産の特色。
もうひとつ言えば「網目模様メーター」もそうだ。。
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そんな中、まったくの異彩を放つのが「デジタルメーター」の存在だ。
デジタルメーターの流行は、少々前であったが、まだ一部でデジタルメーターが欲しいという需要があり、T12オースターにも用意された。
しかし、デザインにまとまりはないし、視認性も残念ながら、アナログに比べて良い…というシロモノでは無かった。
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これぞレア!私は一度も見たことがありません・・。
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このT12オースターは、国内というより、ヨーロッパを主眼に置かれて開発されていた。
足回りはブルと共通であったが、ブルより遥かに固められており、ダイレクトなハンドリングは、一部ジャナリスト筋に、
ハンドリング・コンシャスカーとして絶賛されていた。
さらにシートの感触も硬め、そしてヨーロッパ市場には欠かせない、ハッチバック・ボディもセダンの後に発表された。
その名はずばり「ユーロ・ハッチ」!
微妙にテールを残したデザインは、特に変わり映えしないデザインであったが、なぜか私の目には素敵に写ったモノだ。
特にブルーのツートンの「ユーロハッチ」には、正直心が揺らいだが…
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きっと記憶の彼方に飛んでしまった「オースター・ユーロハッチ」
「スタンザ・リゾート」と共にレア・カーの名を欲しいままにする・・。
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一部では、ハンドリングマシンという事で人気のあったオースターであったが、実際の販売台数では、とんでもなく売れていなかった。
しかし、日産が英国で作った工場で、オースターは作られる事もあって、国内モデルも最後まで力を抜かずにモディファイ?が続けられた。
前期モデルも、充分に「私はヨーロピアンだ!」と訴えていたが、後期モデルは、さらに輪を掛けてヨーロピアン路線を突き進む事となったのだが、
どうもデザインは「どうしたんだい!?」という方向に進んでしまった。
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鉄仮面顔?と言われた後期モデル・カタログ
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本格的に英国工場で生産された事もあって、後期カタログには、イギリスを主体にしたコマーシャルが行われていた。
ロンドンブリッジ、ティーカップ、ポロ…
後期のオースターのカタログには、至るところにイギリスが散りばめられていた。(しかし、実際のイギリス生産車はというと…)
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カタログを一枚めくると…そこはロンドン?!
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そして、ついに「British」なるグレードまで登場!
専用のツートン・カラーと専用のデザインのシート、充実装備のお買い得仕様であった。
しかし、その装備で、何がイギリスなんだろう?と思ったのは、私だけであっただろうか?
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とうとう「イギリス」の名前を冠したグレード登場!
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カタログ等でイギリス、イギリスと言っておきながら、英国やヨーロッパでは、必需であるハッチバックモデルが、日本国内モデルに限って整理されてしまったのだ。
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やはり日産車と言えば「赤」(by三本和彦談)
後期は単色でなく、赤とグレーのツートンに…この色合い、私は好きだ!
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前期モデルでは「TYPE1」、「TYPE2」の2種類であったのが、後期では「ユーロハッチ」のみの、
モノグレードになってしまっていたのだ。
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やはり日本ではHBは売れない?モノグレードになってしまった。
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やはり日本では、ハッチバックは売れないのだろか?
このオースターでも、幻…と言われるくらい売れなかったのである。
HBで、さらに5Drで、唯一売れたのは、310サニーの「カリフォルニア」くらいしか、現在を含む過去まで無いのだ。
さて、イギリスでのT12だが、実際には「BLUEBIRD」の名前でリリースされていた。
そしてデザインも、ほとんどT12の前期のエクステリアで売られていた。
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後期のカタログの最後のページには、イギリスでのT12の製造の様子が見開きで解説されていた。
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であれば、国内でのあのデザインはいったい…
しかし、日産にしてみれば、何故T12が売れなかったのか皆目検討が付かなかっただろう…
実は私もなのだ。考えられる要因としては、価格設定がほとんどブルと変わらなかった事?ぐらいだろうか。
オースターのクルマとしての完成度はかなりのモノであった。
足回りだって、ある意味ブルより良かったし、使い勝手でも何ら他車と劣る所は無かった。
悲運不運だったクルマであったが、オースターの高尚な精神的遺産と、足回りの充実は、後継モデルといえるP10プリメーラによって、
初めて花開くのであった。