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再度 欧州にロータリーサウンドが鳴り響く!ポルシェとの死闘!
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REのリヴェンジとGT−Rへの挑戦
ニュルでの一応の成果を上げた「マツダ」は、翌年69年には「コスモスポーツ」から本格的ロータリー
量産車「ファミリアロータリー・クーペ」を、欧州に繰り出す事になった。。。

ファミリア・ロータリー・クーペは、その優しげな外観とはまったく異なり、まったくのじゃじゃ馬であった。
とにかくリヤの板バネが、ロータリーのパワーを吸収できなくて、発進時にはジャダーを起こすわ、比較
的柔らかい足回りだったせいもあって、高速走行では路面のコンタクト感が希薄で、まさにCMのキャッチ
の通り「飛んでいる感じ」であった。

それにしても、当時からマツダの広告はオシャレである。
まともにクルマを写すのではなく、クルマのサイドウインドに写した姿を使うなんて・・・


話は欧州へのチャレンジに戻るが・・・

欧州のレース用として、「マツダ」は吸気ポートを完全な「ペリフェラルポート」とし、まったくレースに適した
仕様に変更した。
馬力も耐久性に自信を持てたので、耐久レース仕様でも170PS/8000min-1と大幅にポテンシャルが
向上していた。

ブレーキも4輪ベンチレーテッドディスクとし、ホイールのサイズもエンジンの馬力向上に合わせてフロント
9J、リヤ10.5Jという恐ろしく幅広のホイールを履く事になり、必然的にオーヴァーフェンダーで、はみ
出たホイールとタイヤをフォローすることとなった。。。

戦闘力の増した「ロータリー・クーペ」は、スパ・フランコルシャン24時間レースで1〜4位のポルシェに
ついで5、6位をGETするなど、その活躍は目覚しい物があった。

そして運命の8月、「マツダ」は再びニュルブルクリンクに現れたのだ!

「マツダ」は三台の「ロータリー・クーペ」をエントリーし、打倒ポルシェに燃えていた。

この年のニュルは、まったく天候に恵まれず84時間の内に豪雨に見舞われるなど最悪のコンディションに
なってしまった。。



片山/片倉/武智組は33時間目にクラッシュしてしまい、二台目は、何と65時間目に燃料タンクからのガソ
リン漏れで棄権・・・
すべては、もう一台の「ロータリー・クーペ」に運命は託されたが、途中の豪雨で2ローターのリヤ側の排気
マニホールドが急激な温度変化に耐え切れず、排気漏れが発生し、排気音が大きくなってきていた。。

ニュルでのレースでは、当時から排気音量の規制があり、このままでは失格の危険性も出てきてしまった。

ピットインの度に簡易的な処置を施したが、猛烈なペースでのレース運びが仇となり、いくら補修しても排気
漏れが再発、すると「マツダ」チームは誰もが想像しなかった手段を施したのだ!!

それは排気漏れの生じているリヤのローターの燃料をカットしワン・ローターで走行を始めたのだ!!

まさに、ロータリーエンジンなら可能である奥の手を施したのだ。

ワンローターという、まったくの戦闘力不足でありながら、最後まで走り続け、まさに執念の5位入賞という
奇跡をおこしてしまったのだ。。

その頃国内では、サーキットに一向に現れない「マツダ」に対して、海外で戦績を上げながらどうして・・・という
疑問と、ロータリー・クーペの戦闘力を測りかねて、戦々恐々とした異常な雰囲気が支配していたのである。。

しかし、その沈黙はまもなく、当時の王者「GT−R」に牙をむくこととなったのある。。

それは、同時に広島県人である私と、日産党である私の内面で、激しく葛藤が始まった時代でもあった。。。

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