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登場 王者GT-Rの運命は!?
ロータリー国内初出場!
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ついに国内参戦!GT−Rとの戦いが始まった!
海外で華々しい活躍を続ける「ロータリー」。
その国内への登場が噂されては消え、また噂されて・・・という状態が続いたが、「マツダ」は続けて欧州への
チャレンジに注力しよう・・・という腹づもりだったのだが、費用の面、そしてやはり国内で直接レースをやった
方が、ダイレクトに宣伝効果があるという判断から、実はそのチャンスを狙っていたのだ。

日本グランプリに合わせて'70年5月から、ロータリー・クーペ用の「スポ
ーツキット」の発売をし、よいよ「王者GT−R」との戦いの火蓋が切って
落とされたのである!

GT−Rは'69年10月の日本グランプリからルーカス製のフェールイン・
ジェクションを搭載し、240PS/8400min-1、21.4Kg-m/6800min-1
を誇るまで成長していた。
もはやR380を馬力では超えようとしていたのだ!

一方のロータリークーペも、欧州での転戦でさらにチューニングの見直
しが行われ200PS/9500min-1 !!を発揮するまでに至っていた。

馬力ではGT−Rが圧倒的に有利だが、実際には軽量でコンパクトな
ロータリークーペの戦闘力は侮れないものがあった。

5月3日富士スピードウェイの6Kmのフルコースにて、ついに両雄の直接
対決と相成ったのである。

予選では1位〜4位までGT−Rが締め貫禄を見せ付けたような形になったが、5位6位にはしっかりと0.2秒差
でロータリー・クーペが虎視眈々とGT−Rの隙を狙っていたのだった。
スカイラインは、これまでの富士での戦いのノウハウがあり、6Kmのフルコースに合わせて完全に調整されており
、その為コーナーでローギアまで使用することを考慮に入れていたので、かなりハイギアードな設定になっていた・・・

果せるかな、決勝ではスタートでロータリー勢が一気に飛び出しGT−R勢を引き離した!!

しかしながら、走り出してしまえばローギアもハイギアも
関係ない!
逆に足回りもギアも完全にコースに合わせてセッティング
されたGT−Rがコーナーではロータリークーペを圧倒
していた。

コースの中盤ヘアピンでは、高橋国光のGT−Rが先頭
に立ち、つづいて片山ロータリー、都平GT−R、黒澤GT
−R、武智ロータリー・・・の順で通過して行った







実はロータリークーペは、コーナリングが苦手なクルマ
だったのだ!!!

ロータリークーペはコーナーの度に、フロントイン側の
タイヤを浮き上がらせる三輪走行を見せたが、これは
フロントのロールセンターが異常に高く、これによって
イン側のタイヤが浮いてしまっていたのだが、さらに
追い討ちをかけて、スタヴィライザーも必要以上に締め
上げられていた事も、拍車をかけてしまっていた。。









これでは、コーナーを素早く走る事はできず、また安定性
にも欠けるので、コーナーでは思わぬ激しい挙動を示し
GT−R勢を驚かす事もしばしばであった・・・

富士のコーナーがGT−Rの順位を上げ、ロータリー
クーペ不利か!?と思わせたが、そこは欧州の並々なら
ぬライヴァル達を蹴落として来たつわ者である、最終
コーナーを抜け富士の長い長い直線に入ると、軽量で
前影投影面積が少なくクーペボディの空気抵抗の少ない
事も手伝って、次々にGT−Rを抜いて行ったのである。。

富士のストレートはGT−Rにとって非情にも長すぎたので
あった。。。







しかしながらコーナーに入ると、再びGT−Rが三輪
走行するロータリー勢を、見事な低い姿勢でカウンター
を当てつつパスし、抜き去っていた。
そして最終コーナーを抜けストレートでは、ロータリー
クーペが・・・
延々とめまぐるしく順位は入れ替わり、観客はいつ終わ
るとも尽きない激しいバトルに酔いしれたのだ!!

そんな戦いにもついに終止符が打たれる事になる、さす
がにストレートではGT−Rより早いロータリクーペで
あったが、サーキットはストレートばかりでは無い!

卓越したマシンのコーナリング性能と、「日産サーカス
軍団」と言われた超人的なドライヴィングテクニックで
GT−Rを、たくみにコーナーでは右に左にコントロール

、徐々にロータリー勢を引き離し、最後にはGT−Rがワンツゥーをもぎ取ったのだ!!

コーナリングに難が・・と言いつつも、マツダはこのレースに備え、ブリジストンにフロント10インチ、リヤ12インチ
という、当時としては空前絶後のサイズのタイヤを開発させ望んだが、根本的なコーナリング性能の改善には至ら
なかったのである。

それでも上位に食い込んだのは、空気抵抗の少ないボディ形状と、ロータリーの、果ての無い高回転まで回る直線
での「伸び」があったからである・・
このことから、GT−Rはさらなる馬力の向上と空力の改善、ロータリークーペ勢は、足回りの改良に時間を費や
される事となったが、実は「マツダ」は次のマシンの開発に着手していたのである。。。

王者GT−Rの牙城を崩すために、静かにそのチャンスを狙っていたのであった。。。

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