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ラリーのスカイライン
誰も知らない海外でのチャレンジ!!
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日本アルペンラリーに挑戦
スカイラインと言えばレースでの活躍ばかりが目に付くが、
実は初期のころ、まだプリンス・スカイライン時代には積極
的にラリーにも参加していたのだ。

初代スカイラインALSI−U型のラリーでの活躍をご存知
だろうか・・・・

昭和34年7月10日、日刊自動車新聞社主催の第一回
日本アルペンラリーが開催された。
神宮外苑をスタートして上高地を折り返し、再び神宮外苑へ
戻ると言う4日間約1,200kmを走破する日本初の本格的
なラリーであった。
そして五十数台の参加車両の中に、初代スカイラインALSI
アルペンラリーに参加したALSIと古我(右)浜島(左)両選手.−Uの姿があった・・・・

このラリーでは、不幸にして台風の直撃を受けてしまい、折り返し地点近くの大正池付近ではがけ崩れが
発生、自衛隊の出動、懸命の復旧作業によってラリーは再開、未舗装路が多かった当時の道路事情と合
わせて、予想以上の過酷なラリーとなった。

山岳路を得意とする古我の手になった「神5せ8700」のALSIは、並み居るライヴァル達に大きな差を
付けてダントツの優勝をかっさらったのだ。
三位にも別のALSI−Uが入賞し、その非凡なる才能をまざまざと見せ付けたのだった。

古我氏曰くスカイラインを、このラリーのマシンとして選んだ理由として・・・。
ド・ディオン式リヤアクスルを採用していた事を上げている。この方式はセミ・独立懸架と言える方式で、重
いリヤデフを固定しているのでバネ下重量が軽くなり、接地性が良い事が上げられるのだ。

この点からも、生まれながらにしてスカイラインは、足回りの良いクルマだったと言えよう・・。

この大会の後もスカイラインは古我選手と共に出場を続け、第二回大会6位、第三回3位、そして第四回
には、超レア車のスカイライン・スポーツを駆けリ7位に入った。
スカイラインのモータースポーツへの関わりは、レースからではなく、ラリーからであったというのは実に興
味深いではないであろうか。

欧州で羽ばたいた真紅のスカイライン
アルペンラリーで活躍を続けるスカイライン。
そのスカイラインを駆ける古我氏の脳裏には、あるひとつの
決意が生まれていた。

「スカイライン」で海外のラリーに打って出よう・・

まだまだ国内では外車が幅を利かせていた時代。
品質や性能から国産車不要論が出て来る始末で・・・
そんな作るので精一杯の時代に、プリンスは古我氏の提案
を受け入れて海外へ羽ばたく事にしたのだ。
現地フランスの新聞に取り上げられた真紅のスカイライン(白黒ですが・・)

古我選手とプリンスが選んだ、海外の晴れ舞台は何と「リエージュ・ソフィア・リエージュ・ラリー」であった。
このラリーは、その名が示す様に、ベルギーのリエージュをスタートし、ドイツ・オーストリア・イタリア・
旧ユーゴスラビア・ブルガリア・・・と六カ国5,500kmを四日間で走破する、当時欧州で最大級の権威ある
大会であった。
そんな大会に、いきなり東洋の無名のメーカーが乗り込んで来たのだ!当時、まだ日本でクルマが作られ
ている事さえ知られていなかった欧州の人々にとって、スカイラインは常に注目の的であった。
昭和36年7月、古我選手と浜島選手は現地へスカイラインと共にのり込んだ「これが東洋の日本のクルマ
か!?」
歓喜と好奇の渦の中、初参加であり、土地かんも無い・・という事で、今では考えられないが二万キロに及
ぶテストドライヴを敢行した!

そして、よいよ八月になり本番となった。
真紅のスカイラインと古我選手は、快調にドライヴィングをしていた。手応えもある。よ〜し、これからだ!
そんな思いが湧き始めた時であった!下りのコーナーに差し掛かった時であった、ひとりの男が崖から転
落して来たのだ!「危ない!」古我選手はとっさにステアリングを切った。転落した男をよける為にスカイ
ラインはコンクリートの標識に激突した。

転落した男は無事であったが、スカイラインはフロントが大破、サスペンションがいかれてしまって、あえな
くリタイアとなってしまったのだ・・・・。
古我選手も怪我を負ってしまった・・・。しかし、彼は地元の新聞に「人をひかなくて良かった。身体のキズ
は治るが心の痛手は一生治らない」とコメントした。
そんな謙虚な姿が感動を呼び、大きな声援となった。
主催者からは「真の実力を見せてもらいたい!ぜひ来年も来て欲しい・・」と翌年の参加を要請されたの
だった。

大幅なポテンシャルアップ!今年こそは・・
前年の雪辱を果たす為にプリンスは燃えていた。
入賞はおろか完走も果たせなかった屈辱を返す為に、前年
得たノウハウを次ぎ込んで万全の体制で望む事となった。
不要なモノを全て取り払い軽量化を図り、ラリー用の地図
も用意し、助手席に特注でリクライニングシートを取り付け
た。
どれもこれもが、今では当たり前の事だが、当時としては
画期的な事であった。
裏を返せば、当時の国産車やメーカーの実力とは、その程
度であったのだ・・・。

よいよスタート!スカイラインは快調であった。
ある時は真っ直ぐな大陸特有の一本道をひた走り、イタリ
アでは標高2,800mの急なコーナーが続くステレヴィオ峠
軽量化、装備の充実、卓越した足回りで健闘したが・・・.   をなんなくクリアーし、全工程の7割に近づいた時事件は

起きてしまった・・・。
先行車のクラッシュで道がふさがれ、大きくタイムロス!
このロスタイムは余りにも大きく、とうとうタイムアウトを宣告されてしまったのだ。

スカイラインは勝てなかった・・。しかし、ここで学んだノウハウ、軽量化、足回りを固める、電気系・エンジ
ンの防水防塵と言った有形無形の技術は市販車にフィールドバックされ、さらにレース車にも生かされて、
後のGT−R等々の礎となった事は言うまでも無い。

初代プリンス・スカイラインALSI−U型のラリーへのチャレンジの記憶は失われつつあるが、このチャレ
ンジが無ければ国産車のスッテップアップが、まだまだ遅れてしまっただろう事を覚えてて欲しいのである。
少なくとも、これを読まれた皆さんには・・・・

プリンス・スカイラインALSI−U型
全長4390mm 全幅1675mm 全高1535mm
ホイルベース2535mm
車両総重量 1310kg
エンジン..  水冷直列4気筒OHV
排気量..   1484cc
最高出力.  70ps/4800rpm
最高速度.  130km/h


 
初代スカイラインALSI-U型は、その型式末尾の「-U」が
示す様にALSIのマイナーチェンジ型である。
T型からの変更点は、国産車初の4灯式ヘッドランプ採用
エンジンのパワーアップ、制動系の見直し・・と大幅であっ
た。

エクステリアでは、当時アメリカで流行していたテールフィ
ンをいち早く採用し、それまでの国産車とは垢抜けた
デザインを採用していた。

メカニズムも先進的なモノが多く、セミ・モノコックとも
言えるバックドボーン・トレー・フレームや前記したド・
ディオン式アクスルの採用と言った当時の最先端の技術
インテリアも明るくて豪華な仕立てであった。        が盛り込まれた。
昭和36年、2000CCまでが小型車・・という法規改正
に伴って、スカイライン1900デラックスを発売。
この1900デラックスが後にグロリアへと発展、翌37年
にはラジエターグリル内へ、ヘッドランプを埋め込んだ
スカイライン・スーパーがリリースされ昭和38年8月の
S50系の二代目が発売されるまで好調なセールスを続
けた。






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