ブルーバードの系譜
ブルUのサファリを知っているか!?
お願い:画像解説の文字が画像の下になるようにウインドウの幅を調整下さい。
ブルUもサファリの勇者だ!
さてさて、510ブルやPA10ヴァイオレットばかりがクローズアップされる日産のサファリでの闘いだが、意外や
意外これほど歴史的に意義があり、活躍した610ブルーバードこと「ブルーバードU」をご紹介しよう。。
ブルーバードUは、510ブルーバードの質素すぎる・・・という販売店の悪評から
「豪華さ豊かさ」
をキー
ワードに開発されたクルマである。
ボディは一回り半大きくなり、インテリアも豪華にしつらえ、その頃流行していた、室内を包み込む・・・中が見え
難くくする・・というデザイン手法で作られた。
残念ながら日本ではそのエクステリアは理解されなかったが、海外では710ヴァイオレットと共に意外?な人気
を博したモデルでもあった。
海を渡った日産車たち710ヴァイオレット
http://u14sss22ltd.fc2web.com/oversea/710/710.html
そして年々厳しくなって行く公害対策に対応すべく、
初めて電子制御のカブレータを採用したモデルで
もあった。
実は日産サファリカーとして最初に電子制御燃料
噴射カブレータを採用したのも、このブルUだった
のだ。
(TOP画像がその証だ!)
それまで、高湿度あり、高温あり、振動が激しい
ラリーフィールドでは、電子制御のカブレータは
不向き・・と言われたジンクスに挑戦したのだった。
記念庫に保管されていた610
ブルは、73年サファリで240
Zに続いて総合2位にランクイン
した、まさに記念碑的なマシンだ。
実は前年72年に240Zと共に、先行テストでほぼノーマルの1600SSSのブルUを、後年トヨタ欧州のモーター
スポーツのボスとなった
「オベ・アンダーソン」
の手に委ねて、なんと総合12位に入賞したのだった。
天晴 トヨタの広告にはマイッタ!!思い出の一品。。。
http://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/214361/
73年は本来610ブル4台をエントリーする予定であったが、直前になってフォードが、強力なマシンを出場させる・・
という噂を聞きつけ、なんと
モンテカルロラリーを走った240Zをアフリカに空輸
して、240Z3台と610
ブル2台の5台でサファリに挑んだ。
この時の610ブルSSSのスペックは・・・
L18インジェクション仕様で、最高出力180PS、最高速190Km/h、ゼロヨン15.5sec(日産実測値)を誇った。
前半はフォード優勢で進んだが、ステージが進むにつれDATSUNは順位を上げ最後には シュルストロム のブル
610SSSが一位、メタの240Zが2位でフィニッシュした。。。
しかし、この時大きな歴史の悪戯がDATSUNチームに襲い掛かった。
ゴール時の減点は610ブルが
「406ポイント」
、240Zが
「405ポイント」
・・・・・
減点差でそのまま240Zがウイナーであった筈が、メタの240Zはフロントのレフトフェンダーが飛び、ヘッドランプ
も消失していた。。。
最終車検で240Zは「ペナルティ1ポイント」が課された!
240Zと610SSSの減点は
「406ポイント」
と同ポイントとなってしまったので、ゴール順で610ブルが優勝か!?
と思われたが。。。
最初の3ステージまでの減点が少ない方が優勝・・という裁定がなされた!!
ここで610ブルSSSの総合二位が決定的になった訳だが、ここで610ブルSSSが優勝していたら・・・
もっと日本国内でも610ブルの評価が変わっていたかもしれない。。
このサファリでの裁定の様に、610はある意味で不幸なクルマであったかもしれない。
豪華さや新機軸、電子制御カブレーター(EGI)が販売では裏目に出てしまった。。。
豪華さとプライヴェート性を重視したエクステリアは、視界が悪い、趣味が悪い・・などと逆の評価がなされ、さらに
オイルショックでシンプルなものが好まれるようになり、ますます不人気に拍車が掛かった。
EGIも、まだ完全とは言えず故障が多発し、信頼性でも610の評判は地に落ちてしまった。
この後、日産は評価がガタ落ちした610、710、810について、秘密裏にディーラーに指示を出した。。。
「中古車市場でのブルーバードの評価を保つ為、また新車への評価の悪化を防ぐ為に610、810ブル、710
ヴァイオレットが下取りに入った場合は、廃車スクラップする様に・・・」と。。。。
現在610、710、810ブル、ヴァイオレットの現存数は皆無に等しい。。。
そんな中、記念庫に眠るこの610ブルの存在は、まさに正しい日産車の歴史を語る上で必要不可欠の存在と
言えるだろう。
その後、国内では宣伝されなかったが、610ブルは海外ラリーで活躍した。
日産モータスポーツ暗黒の時代。。。密やかに海外でDATSUNブランドのモータースポーツを支えた610ブル。
実は73年を最後に、サファリでの日産ワークスの活動は休止したのだ。
真紅のボディに、艶消し黒のボンネットの日産ワークスカラーの終焉でもあったのだ。
後年のトリコールカラーの日産マシンも良いが、この真紅のカラーに艶消し黒ボンネットのカラーがカッコイイ・・・
という声がいまだ持って高いのは、こうした歴代のブルーバードの活躍に負うところが大きいと僕は思うのだ。
不人気車というレッテルを貼られた610だが、僕はそんな610こそが逆に色々な意味合いで大切な文化遺産
だと思って止まない。。。
復活!ブルーバード。。。その思いと共に・・・
日産・DATSUNの戦士達TOP
復活!ブルーバードへ
SEO
掲示板
[PR]
爆速!無料ブログ
無料ホームページ開設
無料ライブ放送