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BANZAI SAFARI
ケニアの新聞に日本語が舞った日・・・
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BANZAI SAFARI

皆さんは、アフリカの新聞で「日本語」の
タイトルがトップを飾った事があった事を
ご存知だろうか?

「BANZAI SAFARI」

1970年、DATSUNチームが510
ブルーバードSSSで、「総合」「クラス」
「チーム」の完全制覇を成し遂げた翌日の
新聞でその文字は躍ったのだった。。。

前の年に「総合3位」「クラス1位〜6位」
そして「チーム優勝」を果したDATSUN
チームに対して、フォード、ポルシェ、ラン
チャのワークスが「打倒DATSUN」を
合言葉にサファリに乗り込んで来たのだ。

それもその筈で、この年初めてサファリは
世界選手権の掛かったラリーとなり、一気
に欧州のメーカーが大挙してアフリカの地
に押し寄せたのだった。

対するDATSUNも、510SSSのパワ
ーアップを図り、それらの強豪に対向した
のだった。。。

ラリー開始前のインタヴューで、アフリカ
最速の男と呼ばれる「ショギンダ・シン」
が言い放った言葉が印象的だった。

「サファリ・・・もはやそれはサーキット
と化した。。」

この年のサファリから、さらに指示速度が速
くなり、平均速度も100km/hに迫ろうかと
言う、高速ラリーとなっていたのだった。

たかが平均速度が100km/hと言う無かれ、市街地・郊外のの60km/h以下も含めてなので、スペシャルステ
ージでは200km/h近い速度も要求される場面が出てくるのだ。


スタート前のDATSUN510SSSとジョギンダ・シンの勇士

それは、パワーウエイトレシオに勝る欧州勢に有利なようにオーガナイズされた、実はDATSUN潰しのレギ
ュレーションだったのだ!
しかし510SSSの人気は高く、出場車91台中なんと23台が510SSSという有様で、このうちの4台は
DATSUNワークスなので、残りは全てプライベートというあたかもワンメークの様相さえ呈していた。

ラリーは始まった!パワーに勝るフォード、ポルシェが先頭集団を作り510SSSがそれらにぴったりくっつく
と言った激しいものだった。

第二ステージに入り、ケニア山周りを回るコースに入ったが、天候は激しい雨となって、ますます道路は水浸
しとなり粘土質の土は先頭を走るラリーカーの進撃を拒んだ。

しかし、510SSSはまるで何事も無いかのようにこのステージを走りきったのだ。

それは、フロントにヘヴィスパイクタイヤを履かせ、リヤにはチエーンを巻いたタイヤを履かせていたので、ステ
アリングの応答性が確保され、駆動輪のリヤにはチェーンが巻いてあったのでどんな泥濘路でも駆動力を落と
す事無く走破できたからだ!
しかし、普通にチェーンを巻いていたのではチェーンとタイヤの間にスキマが出来てマトモに走れないハズだ!

実はここでDATSUNチームは秘策を取っていたのだ。

それは、タイヤの空気圧を落としてチェーンを巻き、巻いた後に定格の空気圧までタイヤを膨らます、そうする
事によって、チェーンはタイヤに食い込む様になり高速高負荷でもチエーンは切れたり外れたりしない・・という
算段だ!!

欧州のクルマは、チェーンを巻く事が一般的でなくホイールハウスに余裕が無かったのでこの作戦はできない・・
という裏の事情もあった。
第二ステージでは、さらにフォードにも悪夢が襲った、それはアンダーカヴァーの取り付け方が悪く、泥がアンダー
カヴァーからエンジンルームに進入して、エンジンルームを覆うようになってオーヴァーヒートを起こしたのだった
。。。

実はそれも二年前にDATSUNチームが経験しており、スタート前にそのカヴァーを見て、DATSUNチームは
例えフォードが先行しても全滅する・・・と読んでおり、無理な追い上げをしなかったのだ。
予想通りフォード勢は、次々とトラブルが発生して、コースの半分も行かない内に全滅してしまったのだった。。。

ラリーは終盤を迎え、最終的にはポルシェを二台の510SSSが追撃する・・・という形になった。

DATSUNはこの年、トキコと共同でサファリ用のショックを開発しており、無交換でサファリを走破できる新型
のショックで望んでいた。
このことは、510SSSはポルシェに比べて燃費も良く、さらに部品も耐久性も良い事から、ポルシェの1/3回
のサーヴィスで良い事になり、最終ステージまでにポルシェとの差を大幅に縮めていたのだったが、なぜか最終
ステージに入ってからは、ポルシェの背後にピッタリとDATSUN510SSSは付くものの、決して抜こうとはしな
かった。。。

どう見ても抜き去ることができる場面でも、決してDATSUNはポルシェを抜かない・・・そんな不気味なDAT
SUNの動きにポルシェは、焦りを誘発し、さらにオヴァースピードでDATSUNを引き離しに掛かったが・・・・

ゴールを目の前にして、ポルシェは白煙を上げて止まってしまったのだった。。。

実は前日のスタート前に、DATSUNはポルシェのエンジンからオイルが漏れている事に気づいたのだった。

「オーヴァーペースで走ればポルシェは自滅する・・」

そう読んだDATSUNチームは、ポルシェを追う二台の510SSSに「ポルシェ追い抜き禁止指令」を出し、常に
相手に合わせて車間距離を一定にして走る事をドライヴァーに命じたのだ。

事情を知らないドライヴァーは「前を行くクルマを抜かなくてはラリーは勝てない!」と大反対したが、「俺に言う
ことを聞け」、「ポルシェに勝てるポテンシャルをドライヴァーが持っている事を知っての指令だ!」と言い聞かせ
て、最終ステージに望んだのだった。。。

ラリーが終わり、ドライヴァーは難波監督に目を丸くして問いただした・・・

「お前はマジシャンか?予言者なのか?」と・・・・

'70年のサファリは終わった・・・並み居る欧州の強豪を打ち破りDATSUNは「総合」「クラス」「チーム」の三冠
を奪取して完全優勝を果たした・・・

そして翌日の新聞の見出しとなっただった。。。

これには後日談があり、この新聞が出てからしばらくは、DATSUNチームの日本人や、現地の在留日本人に
「BANZAIの意味は何だ!?」との問い合わせが殺到して苦労した・・・のだった。。。

この完全優勝から、DATSUNの名前は欧州でも響き渡り、現在まで引き継がれているのだった。。。

今から35年も前、遠くアフリカの地で偉業を成し遂げ、現在まで続く、日本車の高信頼性や高性能のイメージを
作り上げたDATSUNの功績は日産のみならず日本車の「誇り」と言ってよいだろう。。。

またいつの日か、願わくば「DATSUN」で・・・いや、ここは「NISSAN」の文字でも良いから、ラリーのフィールド
に戻って来ることを願って止まない・・・

その為に、これらの記憶が風化しないように、この先何年経っても僕は「DATSUN」という名前と「ブルーバード」
というクルマの栄光の時を、時間ある限り語り継いでゆこうと思うのだ。。。

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