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スカイラインGT TURBO(C210)編
(名ばかりのGTは…)
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スカイラインGT TURBO(C210)編

■名ばかりのGTは…

ターボ専用のカタログと限定版のカタログ。この頃は2L・TURBO・ディーゼル・TIとカタログが分かれていた。

C210系スカイラインは、無いナイ尽くしの中から生まれた難産のクルマだった。

何より、それまでのスカイラインの重要なファクターであった「早いクルマ」である事が、公害対策により、キバを抜かれ、もはや鈍重なクルマとなってしまったのであった。
その心臓部である、L20Eはカタログスペック上では「130PS」と謳われていたが、実際にそのフィーリングは、かつての軽快な吹けあがりでは無く、重々しい、やっと回っている…的なスカイラインらしからぬものであった。

あの櫻井眞一郎をして「東名を走っていると、自分のスカイラインの横を、スーっとロータリーやトヨタのツゥインカムが、事も無げに抜いて行くんです。もう、悔しくて悔しくて、涙が出そうになるのです・・」と後にコメントしていた程である。

実際にトヨタからセリカがデヴューし、そのCMコピーが「名ばかりのGTは、道を空ける」。トヨタは、公にはどの車種を指し示すモノでは無い!とコメントしていたが、誰が見ても、スカイラインを指し示すコピーである事は、明白な事実であった。しかし、日産にしてみれば、過去の実績から「4ヴァルヴでなければDOHCでは無い!」という哲学からトヨタのツゥインカムを認めていなかった。

しかし、どう言っても現状でのL20では勝てないのが、どうしようも無い事実であった。
ここに救世主が現れた!「TURBO」である。

誰もが憧れたブラックのGT・TURBO。金のストライプに、純正のフィンアルミ。西部警察でさらにブレーク。

'79年の12月に430セドグロでデヴューし、それまでの重く回らないL20が信じられない位、闊達になり、その搭載をスカイラインにも望まれたのである。そして遅れる事4ヶ月、'80年4月に颯爽と「スカGターボ」が登場したのであった。

TURBOには、「E」・「EL」・「EX」・「ES」の4グレードが用意された。実は「E」というモデルは「ES」と同じサスであり、装備を簡素化した、一番のハードモデルだったのだ。

しかも、日産はセドグロとは異なり、ノックセンサー等の新技術で、圧縮比を余り落とさずにスカイラインに搭載したのである。それまで最高速170km !ゼロヨン18秒台という鈍足から、最高速193.03km、ゼロヨン16秒47という俊足に激変したのである。

当時人気絶頂であった「西部警察」に「マシンX」として登場すると、さらに人気に拍車が掛かり、名実ともにスポーティカーの仲間入りを果たしたのであった。

限定版カタログの一部。ターボとはに始まり、パトカーの開発まで名言している。

ターボに隠れてしまったが、日産はL20の改良も、怠ってはいなかった。'81年には、過去の例を見ない「130⇒125PS」への変更がなされたのだ。これは、一見するとデチューンの様だが、その実は、カムのプロフィール変更等により、3000rpm以下のトルクが、0.5〜1kg-m向上させて、実用域でのドライバリティの改善を図っていたのだ。もともとL20は5000rpmも回せば、ドライヴァーもエンジンも悲鳴を上げてしまう悲惨なエンジンであったので、5PSダウンでも、実際には影響が無く、逆に中低速が豊かになった事で、随分乗りやすくなったものだ。

まだ、糖尿と肝臓病で無かった頃の徳大寺氏の特別寄稿。メーカーのカタログに堂々と登場したのは、これが最初で最後?

ターボの搭載と馬力ダウン。
ジャパンは、何も無い逆境から、光明を自らの手で見出した「不屈のモデル」であったと言えよう。モータースポーツには参戦しなかったが、ジャパンが無ければ、RSもGT-Rの再来も無かった事を、胸に刻むべきであろう。

スカイライングッズの数々。ケンメリのTシャツは31万枚売れ、ジャパンの「Mr&Ms」のTシャツは57万枚も売れた。

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